事務局だより


只今、工事中🏗

子どもの声を聴いていますか

 

 令和5年も終わりに近づいてきた。

 振り返ってみると、あっという間であった。

 

 この間、巨匠・田中博史先生には、数々のご指導を、当研究会主催のセミナーでいただくことができた。(10月の第7回セミナーは、田中先生の体調不良のため開催できず延期であった。)

 

 田中先生のお話を拝聴していると、いつもお話の端々に出てくるのが、「子どものこと」である。目の前の子どもの声を聴き、様子を観察して授業を進めていくことをずっと言われている。

 

 決して、教師の都合で子どもの声を無視をすることはない。

 

 (でも一般的には、教師にとって都合のよいつぶやきは取り入れるが、そうでない場合には無視して切り捨てる。)

 

 これは、何も算数の授業にかぎったことではない。

 全教科、全ての学習においてそうなのである。

 

 教師が、目の前の受けもつ子どもたちの声にきちんと耳を傾けているかどうか。

 子どもたちは、じっと観ているにちがいない。

 

 そして、このことは、教師と子どもの絆に深く関わっていく。

 

 子どもときちんと対話ができる教師であるかどうか。

 常に自問自答しながら授業をやっていきたい。

 

 「子どもに寄り添う」とは、そういうことだと考えている。

 

 

                       令和6年12月28日

 

 


🎤大感動の単独ライブセミナーを終えて


単独ライブセミナーが終わった。

算数界の巨匠、田中博史先生のセミナーである。

初任3年未満の先生から、中堅、ベテランの先生まで、幅広い年齢層の参加者の皆さまが集われた。

どの方も本当に熱心な方ばかり。

近畿だけでなく、東は東京から。
西は広島から。
南は、愛媛から。

頭が下がります。

無事にお帰りになられたろうか。
無事故の帰宅を祈らずにはいられない。

当研究会は、ご縁のあるこれまでご参加いただいた方々を大切にして運営していく。


また一つ、私ども参加者と田中博史先生との思い出ができた。
絆が深くなった。

嬉しい限りである。



きれいに流れる授業に潜む危険性⚠️


どの教科においてもそうなのだが、45分間を細分化して事前に設定した通り、きっちりと終える授業にこだわる教師のいかに多いことか。


教師側から観るとそれでよいのだろう。

時間の管理も上手くでき、時間内に終えられた充実感があるからだ。

そして教科書通りにも進めてもいけるし、時数も気になる。


問題提示→自力解決→練り合い(学び合い)→振り返り&適用問題


この流れが一般的で、多いと思う。


そこに、「めあて」と「まとめ」も入って来る。

忙しい。


教師の事前計画には、問題提示に5分間…自力解決に10分間という具合に時間が設定されてもいる。

その設定時間通りに、あるいは、それに大きく外れないように、教師が一方的に進めていく。


新人の先生や教師経験の浅い先生には、それでいい。何もないより、レールがある方が安心して授業ができるからだ。

だが中堅やベテランと言われる人々は、初任者と同じような授業をしていていいのだろうか。

そもそもこれって、学習指導要領のねらいに沿っているのだろうか。


まさに旧態依然の「教師主体」の授業ではないのだろうか。


私たち教育公務員が大切にせねばならない学習指導要領は、「学習者主体」を謳っているのではないだろうか。



では、学習の主体者である子どもたちの側から観たらどうなるのだろうか。

興味のないことから学習が始まる。問題提示がされず、いきなり「めあて」が教師から出されることもある。

これでは、完全受身の状態である。

そこに子どもたちの学ぶ必要感は全く無い。

そして次に続くのは、問題自体を理解できず分からないのに、自分で解決しないといけない時間。

困っている子どもにとっては苦しい時間帯が続く。

「友達に相談してはいけない地獄の時間」である。


さて、授業って、いったい誰のためにあるのだろうか。


例えば、医療の世界。

名医は、患者の問診を対話しながらしっかりとやって、診断する。

患者そっちのけで時間が来たから問診を終えたり、医者が使いたい薬剤を時間が来たからと言って設定通りに投与したり、時間内に手術を行わないといけないので、患者の状態症状を無視して手術を時間を設定通りにやったりはしない。

そんなことをしたら、患者は絶命するだろう。

それをやるのは、素人なみの医者か、藪医者である。ありえない話だ。



では、教育界はどうだろう。

授業を時間通りにやることばかり頭にあって、導入の時間5分間が過ぎたら、次に「自力解決の時間」を10分間をやる。

あらかじめ机間巡視をして、目をつけた子どもにホワイトボードを渡す。

渡されなかった子どもたちは、

「あー、僕の考えたのはちがうんだあ。」

と落胆する。

そして最初から完成されたホワイトボードの図や式が黒板に並べられ、そこでもまた1番いいものが決められる。


時間内に終えるために、事前に教師によって画用紙に書かれた「問題」や「まとめ」が出されることもある。


前もって何でもお膳立てをして転ばぬ杖を用意しておく授業。

それって本当は、目の前で困っている子どものためではなく、時間通りに終えたい教師の都合であろう。


そんな教師に毎日授業をされる子どもたちは、早く授業が終わることを願って待って、じっと我慢している。教師と同じく時計の針をじっと見つめて、時間ばかりを気にしている笑。

受け身人間が、大量に生産される教室。
きれいに流れる授業に潜む危さ。

医療ではありえないことが、教育界では起きている。目の前の子どもたちの困り方を無視して時間設定通りに進められるありえない授業。


これでは、日本の未来は危ない。

そう危惧するのは、私だけだろうか。


令和4年12月13日

田中博史先生オンラインセミナーを終えて

田中博史先生の授業づくりを学ばせていただいて、いつも感じることがある。それは、子どもたちひとり一人への愛情をとても感じることだ。

それは、私たち教員が絶対に忘れてはいけない大切なことであると思う。

困った子どもを放っておかない、目の前の子どもを見捨てない。

真の人間教育をされている田中博史先生に、これからずっとご指導をいただけたらと思う。

令和4年3月12日